最近とてもお世話になっていた方が急にお亡くなりになり、別に恋愛感情を持っていたわけでもないし、普通に生活していたら1ヵ月に1回も思い出さないくらいだったのに、亡くなってみると2〜3日に1回は思い出すし、そのたびにじわっと涙腺が緩みます
折に触れ『死』というものを考えてしまう今日この頃です。
昨日の帰り道、川べりをてくてくと歩きながら、妙に郷愁色な雨上がりの夕空に目を奪われ、なんとはなしに、「子供はいくつになったら死というものを、もう会うこともできなければ話すことも触れることもできないのだということを認識して、それが悲しくて悲しくて泣けるんだろう」と思いました。
私はよくありがちな『極度の母方おばあちゃんっ子』で、その祖母を7つの時に天災で亡くしました。あんなに泣いたのは生まれて初めてだったと思います。
それがもしも3つの時だったら…後日おばあちゃんを恋しがることはあっても、お通夜、お葬式で泣いたりはしなかっただろうなと思うでのす。
7つの時で良かった。おばあちゃんを悼むことができて良かった。悼むことができるのは『死=永遠の不在』と認識しているからですよね。大好きなおばあちゃんとの別れをうやむやで終わらなくて良かったと思うのです。
「いつ頃『悼む』ようになるんだろう…」しかしその頃には夕ご飯の買出しも終わってマンションにたどり着いてしまったので、エレベーターの中で「きっと誰かだけを特別好きになった頃だな、幼稚園の年長さんの時に好きになったゆうちゃんは…」とすっかり思考が横道に反れてしまったのでした。